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Author:岡本 裕一朗

Title:答えのない世界に立ち向かう哲学講座 AI・バイオサイエンス・資本主義の未来 (早川書房)

Date:火曜日 12月 11, 2018, 89 highlights

@119
カッラティアイ人はインドの部族で、死者の肉を食べる習慣を持ち、
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@137
サウジアラビアやイラクはイスラーム法を厳格に守り、九歳で成人となることを法制化しています。また、結婚最低年齢を定める法律そのものがないイエメンなど、九歳未満で結婚する女児が多い国もあります。その結果、性行為による内臓損傷などで亡くなる女児もいるといいます。
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@161
本人が望んでいるかを考慮すべきで、本人が望んでいたらよいだろう」という考えそのものが、近代的な西洋の発想
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@178
文化相対主義というのは、次のような考え方です。「各文化には、それぞれ独自の考え方や見方がある。異なる文化間では共通の基準がなく、優劣を決めることはできない」。
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@189
文化相対主義の考え方ですべてがうまくいくかといえば、そうもいきません。  文化相対主義をとるかどうかで、国連が揺れています。国連は第二次世界大戦後に設立されましたから、植民地主義に対する批判や民族自決(*2) の考えが、もともとは非常に強かった。
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@200
国連は サティー(寡婦殉死) を禁止しています。サティーとは、夫を亡くした女性が夫の 亡骸 とともに焼身自殺をするという、インドで何百年も前から続いている慣行です。
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@204
結婚して八カ月にも満たない一八歳の女性が、病死した夫の遺体とともに生きながら焼かれたのです。 当初は妻の意志だといわれていましたが、実は大量の麻薬を飲まされていたことが、警察の捜査でわかりました。 四〇〇〇人以上の群衆が見守るなか、彼女が逃げ出そうとすると、一部の観衆が竹竿でそれを阻み、叫び声はドラムの音でかき消されたそうです。
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@222
「ナチスの政策は当時のドイツにとっては正しかった。しかし敗戦したので、戦勝国側の立場からすればナチスの政策は間違っていた」。この表現が正しいと思われる方はいますか? そうではなく、ナチスの政策は絶対的に間違っていたんだという方は? どちらにも、なかなか手が挙げにくい
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@245
正しい行ないは、それが正しいからやるのか。それとも、正しい行ないをすれば利益があるから、そうしているだけなのか」
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@263
考えてみれば、私たちもまた、トラシュロスが抱いたような幻想にもとづいて生きているのかもしれません。プロ野球で 贔屓 の球団が勝ったり、サッカーのワールドカップで日本チームが勝ったりすれば、涙を流さんばかりに喜ぶ。あるいは誰かに褒められると、自分は素晴らしい人間だと思いこんで、そうした言葉が生きる糧の一つになってしまう……。  私たちのほとんどが、治療を受けないトラシュロスとして生きているのだとすれば、果たしてトラシュロスに対する治療はよいものだったのでしょうか。
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@321
自分が望むどんな経験も与えてくれる機械につながれたあなたは、どんな夢も見ることができる。思い通りの人生がこのなかで展開される。ただし、一度セットしたら取り外しは不可能です。あなたはどうしますか?  これはロバート・ノージック(* 10) が考案した「 経験機械」という思考実験です( 8)。
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@371
ドゥルーズ(* 16) は「 概念をつくり出さない哲学者は哲学者ではない」と述べています( 12)。
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@389
カントがいったように、「 有用性」とは「 ヒモつき」であることです( 14)。考えてみてください。牧師になるために神学部へ行くとしたら、聖職者という立場のために思想や発言は制限されはしないでしょうか。自由に神学批判などできませんね。  一般的に考えても、仕事の取引先について批判するのは難しいでしょう。そうした意味で、有用な何かにヒモづけられた「職業的な知性」では、批判的に物事を考えることができません。カントはこれを「 理性の私的な使用」と呼びます。
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@666
何もせずに五人を見殺しにします。自分の行為が介入し、そこに自分の意志が入ったら責任を問われますから。 岡本  「何もしない」という選択には責任が生じないと考えるわけですね。
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@695
ポジティブな義務」と「 ネガティブな義務」の対比です( 5)。前者は積極的に他人を救済・援助する義務を、後者は行為を控えるとか、他人に危害を加えない義務を指します。  ネガティブな義務同士、ポジティブな義務同士が競合する場合には、功利主義的な原則にもとづき「数」で選べばいい。一方、ネガティブな義務とポジティブな義務とが競合する場合は、ネガティブな義務を優先しなければならない。フットはこのように考えました。
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@727
トロッコ問題は、利害関係にもとづく決定は排除することが大前提になっていますし、個人的な情報をいっさい含めません。 先ほどもご意見が出たとおり、家族の場合と赤の他人では、選択が変わるでしょう。天才的な能力を持つ一人の命と、五人の犯罪者の命を選ぶ場合は?
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@773
メルセデスの運転支援システムのマネージャーが出したコメントでは、「ドライバーファースト」の方針が示されました( 10)。車の乗員や所有者を第一に
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@796
「人工知能なんてまだできていない」とは、多くの学者がいう台詞です。特定の分野に能力が限定されたものや、最初に設定されたプログラムを遂行するだけのものは、人工知能とは呼ばない、というわけ
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@805
将来の人間と超絶知能(スーパーインテリジェンス)の関係が、 現代のゴリラと人間の関係 に類比されています( 12)。ゴリラの頭数、食糧、生殖などは、すべて人間が管理しています。それと同じように、スーパーインテリジェンスが人間の生存を管理するようになる、というのです。
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@809
宇宙物理学者のスティーヴン・ホーキング博士(*6) も、「いつの日か、自律するAIが登場し、とてつもない速さで自己改造を始めるかもしれない。生物学的進化の速さに制限される人間がこれに対抗できるはずもなく、いずれ追いこされるだろう」
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@878
主人と奴隷の弁証法」により、主人と奴隷の立場が逆転するわけです。  これを人間とAIの関係に適用すると、次の図式が立ち現れます。  人間はAI(奴隷)の奴隷になり、AIは人間(主人)の主人になる。たとえば、AIが生産を担う社会が訪れた場合、人間はもはやAIなしには生きられません。にもかかわらず、AIが自律性を持てば、いつまでも人間の便利な道具、奴隷にとどまってはくれない可能性がある。労働をAIに任せて自由を享受するはずが、むしろAIの奴隷になってしまう。
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@936
得た時間をどう使うかには、三種類あるでしょう。  一番簡単なのは、食欲や性欲といった直接的な欲求に没頭すること。コジェーブが考えた「人間」です。これを「 動物化」といいます(
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@942
二番めに、 遊び。 仕事をしなくていいというのは退屈でしょうがないから、遊びによって退屈をまぎらわせる。パスカル(* 14) の『パンセ』を読むとよくわかります( 23)。人が釣りに行くのは、魚がほしいからではない。目的は暇つぶしです。ある意味では、私たちの生活はほとんどが遊びといえます。  そして三番めに、 自由人としての活動。 これがマルクスがいったものです。朝は釣りをして、昼は読書をして、夜は議論をしたり芸術作品をつくったりする。
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@1029
なんらかの利益を得ているから責任を負うべきだという報償責任の考え方からすればそのとおりともいえますが、危険物をコントロールできる立場だから責任を負うべきだとする危険責任の考え方からするとちょっと難しい
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@1037
保険会社による保険によってとりあえず補償だけはやることも考えられるでしょう。そうなると、 どちらの車に突っこむのか選ぶならば、安いほうの車に突っこみますよね。 そのほうが保険料が安いからです。  そうなると、ロールスロイスに乗っている人がつねに優遇され、カローラに乗っている人はつねに殺される危険がある社会ができあがってしまう。
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@1045
そもそも製造責任の考え方が出てきた背景には、 個人よりも企業のほうが明らかにお金も情報も持っている ということがあります。
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@1053
ロボットやAIは、製品としてリリースされたあとに、誰かに教育されて学習して、行動を変える。 ペットを飼っている人は、ペットが誰かを怪我させたら責任を負う。子どもが誰かを怪我させたら保護者の責任になる。 この考え方をAIに適用するわけです( 1)。
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@1057
ロボットかAI自体に責任を負わせるべきなのではないか という考え方もあります。
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@1097
事故が起きた場合、誰かが責任を負ってその人が賠償するという損害賠償責任までが一直線のものとして考えられがちですが、実は事故究明と補償を分離する制度もあります。
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@1099
出産にあたってお子さんに重度脳性麻痺が残った場合、とりあえず補償する仕組みがあり、事故究明は事故調査委員会がつくられて別に行なわれる。医者は責任を負いますが、そこに金銭的な賠償責任が発生しない。
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@1102
ニュージーランドでは事故に関しては原則全部それなんです。 損害賠償による補償という考え方がない。
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@1107
人間が運転して事故を起こすという話ではなくなるとすれば、そもそも責任をとること自体があまり意味をなさなくなる問題設定のような気がする
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@1117
ドイツは「特定の状況に限ってAIに責任を負わせよう」という論調です。たとえば株式投資の取引でAIが違法なことをしたときにそのAIに代理人としての責任を負わせるというように、ある程度状況を限って責任を負わせていく。「 エレクトリック・パーソン(電子人)」を想定すべきだとする決議案が、二〇一七年二月の欧州議会で採択されました。
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@1125
ブタ、樹木、会社……人ならざるものの「権利」
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@1127
ロボットと一番近いように見えるのは 動物裁判 です。中世のヨーロッパでは、一二世紀から一八世紀頃まで、人を殺してしまった動物を裁判にかけることを真面目にやっていました。
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@1134
アメリカでは樹木の当事者適格に関する議論が展開され、日本では一九九〇年代に アマミノクロウサギ訴訟 がありました。生息地を開発すると生存権が侵害されるという理由で、アマミノクロウサギが原告となって提起された訴訟です。
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@1153
生の主体であるかどうかが彼の主張のポイントです。道徳的な施しを受けるだけの存在でも人権は持っている。たとえば障害を持っている人たちは、道徳的な施しを与えることはできないかもしれないけれど、道徳的な施しを受けることはできる。そう考えれば動物も、道徳的なふるまいはできなくとも、道徳的な施しを受ける対象であるべきではないか、と。
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@1171
権利の本性論 というものがあります。法哲学の世界で権利をとらえるときにはこれが大きな議論になります。おおまかに意思説と利益説という二つのとらえ方
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@1174
意思説 では、権利を持つとは、それに対応する他者の義務を、自らの意思によって強行できる支配力を持つことであるとします。たとえば誰かが何かを自分に支払わないといけないときに、それを強行できる支配力を持っているのが権利だとするわけです。
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@1177
利益説 は、権利とは法によって意図的に保護された利益だという考え方です。利益や損害の主体となるから権利主体とされる。
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@1193
AIというと個別的な人格を想定しがちですが、実際にはそれぞれの端末は相互に通信をして、群体全体としてものを考えている。そうすると、まず個別の端末には人権を認められないという結論になりました。なぜかといえば、スタンドアローンでなく、差異がないからです。
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@1216
国家レベルも超えて、グーグルなどの超巨大企業が、全人類の知識をすべて集めて学習させたAIをつくり出したとして、それを一つの人格とみなせるのか。そのような存在に対して法人という枠で人格権を付与することはできるかもしれませんが、既存の自然人や法人との間には非対称性がかなり大きいようにも思え
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@1221
人工知能を個体的なものとして考えずに、 ネットワーク型で考えるとすれば、個別の人間が自分の行為に対して権利を持ち責任をとるという近代的な法体系は当然適さない ので、まったく違う法体系を考えざるを得ないでしょう。
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@1224
同じことは、脳科学の進展によっても、行為に対して行為者の責任を問えるかどうか、さまざまな問題が提起されています。たとえば、最近では、犯罪などは脳の回路のエラーによって発生する、と考えられています。個人がそれをコントロールできないわけですから、個人に責任を負わせることは問題かもしれない。
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@1242
デネットの『心はどこにあるのか』を読んで私が理解したところでは、われわれ人間自身がある種のプログラミングされた存在から進化していってロボット的になり、最後に心を持ったということを考えると、ロボットが心を持たない理由はない。
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@1258
法人というのはフルスペックの人権を享有できるわけではありません。たとえば、会社に投票権はない。政治に参加する権利はないわけです。つまり、法人というのは人格権があるのだけど、一部制限されている。その考え方でいうと、ロボット権というのはその一類型なのかなと。
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@1366
『2100年の科学ライフ』
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@1380
『MiND 心の哲学』 ジョン・R・サール
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@1428
ドイツでは バイオテクノロジーに対する「ねじれ現象」 が見られます。アメリカは、保守派が遺伝子工学を規制しようとしている。これはわかりやすいですよね。 ドイツでは逆に、進歩派が遺伝子工学を規制するんです。
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@1444
遺伝子操作とは子どもを道具化することに他ならない、と述べました。親の願望をとげるための手段として子どもを利用することだ、と。ハーバーマスは「 子どもの奴隷化」というさらに強い言い方までしています。
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@1505
基本的には直感を大前提にしつつ、どう正当化するかの問題です。
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@1531
受精卵を選別することについてはどうでしょうか。つまり、体外受精した複数の受精卵を遺伝子検査し、どの受精卵が「適切」かを選択する。 着床前診断 と呼ばれるものです。病気があるかどうかという基準であれば選別してもいいのでしょうか。あるいは身体的特徴、身体能力による選別はどうか。男女の産み分けはどうか。知的能力や精神的特性による選別はどうか……そうした選別が可能になりつつあると考えたときに、どこで線引きをすべきか。
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@1537
病気予防のためであれば受精卵の遺伝子を改変してもいいのでしょうか。 がんにかかりにくい遺伝子構造をつくり出すことができるかもしれません。一部の部族はエイズにかからないといわれているので、彼らの遺伝子構造を導入してエイズを予防することも考えられるでしょう。
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@1558
昔は子どもは「授かるもの」でしたが、いまは子どもを「つくる」という言い方をしますよね。すでにわれわれは産むか産まないかで選別しています。
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@1572
これまで人類はいろいろな形の選択によって進化してきました。遺伝子異常を起こした個体が適者生存で残ってきた歴史があるわけです。複雑な声帯を持つ個体が遺伝子異常でたまたまあらわれて、それが言語の獲得につながった。ブタモロコシのなかに遺伝子異常で粒が落ちない個体がたまたまあらわれて、それを人類がトウモロコシとして選択的に育てることで農業が発展していった。
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@1597
遺伝子をいじりたいのはヒトの本能のような気がしています。人間活動自体を自然現象としてとらえれば、それを変えたくなるのが人間だと思うんです。ワトソンの言葉もそうですし、遺伝子を改変したいと本能的に思う人たちこそが、突然変異で出てきた新しい人類だという考え方はどうでしょうか。
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@1608
子どもに能力を与えたくなるのは親の自然な欲求で、それがどこから来ているのかといえば、先ほども出たようにある種の人間の本能だと思うんです。なんとかして自分の子孫が生き残れるように強くしたいという思いに通じています。
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@1628
優生学は ポジティブな優生学 と ネガティブな優生学 に分類できます。  これこれの病気を持っている人は排除するという発想はネガティブな優生学、より優秀な人をつくっていくという発想がポジティブ優生学です。
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@1633
二〇世紀には世界全体で優生主義が流行しているんです。日本でも 優生保護法(*6) がずっと続いてきましたし、アメリカやスウェーデン、デンマークなどでも断種法が施行されていました。
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@1749
人が「スイッチのパターン」を考えるときと「陸橋のパターン」を考えるときとでは、脳の異なる部位が働いている ことを明らかに
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@1876
こういうアンドロイドがあるといいな、と思ったとして、その「いいな」を成り立たせている価値観はなんなのか。「いいな」は本当に「いい」のか。
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@1959
専門知、専門家の判断にもとづけばいいのだ。住民投票は民主主義の誤作動である。民主主義はたしかに大事だけれども、それを技術的な問題に当てはめることは、あたかも一足す一を多数決で決めるような愚かなことだ」と。この発言は大きな批判を浴びました。
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@1962
考え方は「 欠如モデル」という、次のような考え方にもつながります。「ダム建設(あるいは遺伝子組み換えや原子力発電)を行なうか行なわないかで不安を抱くのは、みなさん(国民)が無知だからです。よく知らないから不安になるのであって、専門家が正しい知識を教えてあげて、みなさんが理解すれば不安は解消され、技術やリスクを受け入れられるようになりますよ」という考え方です。 政治家のみなさんが、政策に支持が得られないときによくいう「ご理解ください」「理解がまだまだ足りなかったようで……」の科学技術版 ですね。そういう言い方で、国民からの意見はシャットアウトされてしまうわけです。
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@2413
救命艇状況」と呼ばれ、国家や資源、環境問題などを考えるときの一つの典型的なモデルになっています。資本主義の大前提は、 希少性 です。全員が裕福で満ちたりた生活をすることは基本的にはできません。あぶれてくる人々をどうするのかが問題になります。
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@2452
幸福学の話でいうと、年収が八〇〇万円以上になると、収入が増えても幸福度が上がらない。それなら分配して社会保障にしたほうが、多くの人が喜ぶのではないでしょうか。結局、人は他人と比較することで幸せかどうかを判断しているからです。
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@2501
ミルの自由論は小学生や中学生でも必ず知っている考え方です。 世界的にも、ここ二〇〇年ほど主要な学説になっています。  正式には「 他者危害則」といい、俗名は「 自己決定原則」です。他人に危害を与えない限り何をしてもいい。日本風にいいかえると、他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいけれど、他人に危害を加えることは許されない。
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@2515
「おせっかいはやめて」と主張することは、「愚行権」という言い方をします。愚かな行ないも、それは私の問題であって、他人がとやかくいうことではない、ということです。
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@2531
「人は見た目が一〇割」という考え方もあります。いうなれば、 ニーチェ の考えです。ニーチェは弱者の ルサンチマン(逆恨み、嫉妬) を批判するのですが、「人間顔より心が大切」という世間の道徳は、「顔」で勝負できない弱者のルサンチマンに聞こえます。
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@2576
マルクス主義的にいえば、「 結婚は合法化された売春( 3)」です。制度化されれば結婚、制度化されないと売春ということに
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@2633
みなし」を全員が承認していることを、サールは「 集団的志向性」という言葉で表現します。集団的志向性が消えてしまうと、申し合わせは無効になります。日本政府が信用できなくなれば、紙幣を出したときには誰も受け取りません。
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@2654
国家の年間GDPと企業の年間売上を比べてみましょう。二〇〇〇年の時点で、世界の最も大きな経済主体のトップ一〇〇のうち、国家はいくつぐらい入っていると思いますか?   答えは、企業が五一で、国家はわずか四九。 つまり経済面から見て、国家を超える企業は数多く存在していることになります。
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@2814
ドラッカー個人は西側の資本主義が基本的にうまくいくと考えていたわけですが、資本主義と社会主義を互いに原理的に相容れないもの同士とは考えていない
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@2914
そもそも「資本主義」という言葉は、ベタベタの現実に対して与えられた名前であり、理念に対して与えられた名前ではありません。それに対してもともと「社会主義」とは理念、思想に対して与えられた名前です。 その理念が実装されたときに、期待どおりのパフォーマンスを示してくれなかったので、みなが幻滅したのです。「資本主義」の語のほうは、もともとは醜い現実に対して、できればそれを克服したい、捨て去りたい、という現実に対してつけられた名であり、むしろ罵倒に近いものだったのですけど、だんだんニュートラルな使われ方をするようになってきました。
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@2974
かつての先進国において一時的に格差が縮小したように見えたことの大きな理由は、一つは 福祉国家的再分配、もう一つは 教育水準のアップ です。上から一パーセントとそれ以外の格差は財産によるものが大きいわけですが、たとえば上から一〇パーセントとそれ以外の格差は、学歴や教育水準の結果として説明できるといわれています。
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@2980
AIが格差をさらに広げる、あるいは知識労働者自体の機械による代替が進んで、それが持てる者と持たざる者の格差、つまり賃金格差よりは財産所得の格差に転換される可能性が無視できません。どんどん人間が安くなっていく時代が訪れる可能性が高い。
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@3003
ミルトン・フリードマン(*8) の「 負の所得税」という考え方が、ベーシックインカムの原点の一つだといわれています。
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@3007
市場への介入を嫌い、徹底した規制緩和を唱道したフリードマンによる、市場メカニズムを、とりわけ人々の勤労意欲を極力ゆがめない、非常にミニマルな形での介入による社会保障プラン。
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@3024
AIで格差が増大するとおっしゃいましたが、その理由についてお聞かせください。 稲葉  一番単純に考えれば、AIというのは人間ではないので、誰かが所有する財産であるということです。人間の労働の一部がAIによって代替されていくならば、そのぶん人間の雇用が減り、賃金が下がるし、AIの所有者が財産としてのAIに対するリターンを得るわけです。 男性B  AIを持っている人と持っていない人で差が出る、ということですね。 稲葉  そういうことです。人間を所有することは現行制度においてはできませんので。
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@3080
ウイグルとかチベットで独立運動や反対運動をしている人のなかには、実はビジネスパーソンが混じっています。 優秀な企業家としてビジネスを展開していたときに、共産党に邪魔をされたという人が、現在の中国の反体制派のなかには無視しがたい割合で混じっているんです。
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@3245
ピケティの見立ては、一九世紀から二〇世紀初めまでにおけるこの問題への対応として、福祉国家化が進行した、というものであり、彼の グローバル資産課税 の提言は、ある意味この対応のグローバルなスケールでの反復をねらっている
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@3281
信頼されているのは実際には、狭い意味での国家、政府の統治権力、いざとなれば人々から税を集め、財産を接収する権力だけではありません。むしろそれ以上に、国家の統治権力の下にあり、税源となる国民経済全体の健全性への信頼が大きいといえましょう。
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@3463
男女の完全平等。現代では「差別は認めないけれども区別は認める」というのが「男女平等」の実質ですが、 プラトンは区別も認めないんです。
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@3468
婦人と子どもの共有制。プラトンの最も過激な主張です。  プラトンは、国家においては個人的な家族制を認めず、婦人の共有を主張しました。誰が誰の奥さんであるとか、こんなことは認めないと。これは婦人の共有であるとともに、女性から見れば男性の共有です。要は 特定のパートナーを持たずに、男女多様な性関係をとりむすぶ ということ。また、その結果生まれた子どもは、誰が父親かわからず、それを特定するすべもないのだから、国家において共同で子どもを養育したらいいだろうと。
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@3540
アメリカでは共和党が、経済問題に関していえばリバタリアニズムを伝統的に支持しています。ただし政治的には保守主義です。 リバタリアニズムですべての問題を考えるならば、同性愛や中絶も全部OKとなるはず。 ところが、共和党のドナルド・トランプ大統領は「LGBTが米軍に入隊することを認めない」とコメントしまし
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@3546
リバタリアニズムの考えをもとに、ノージックはユートピア的なコミュニティ論を展開したのです。たとえば、 ロック音楽が好きな人の村、ヌーディストの村など、出入り自由な民営のコミュニティ をつくって暮らそうと主張します。
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@3553
コミュニティ同士は絶対に対立しないでしょうか。コミュニティは拡大を目指す傾向があるでしょう。そのとき、弱肉強食的な対立が起こる可能性は? ノージックは、コミュニティ間の対立が起きたときには、それを仲裁する中央機関が必要だといっています。
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@3581
どんなものも無条件に存在しているのではなく、「Cという意味の場において」存在している。 では、世界もまた「Cという意味の場において存在する」のでしょうか。「Cにおいて」というならば、Cは世界より大きいはずです。しかし、これは「世界」の定義その一に反することになります。世界はすべての意味の場を包括するからです。  したがって、そうしたCは存在しません。そして、Cが存在しないのならば、世界が存在することはできない。これが、ガブリエルのいう「なぜ世界は存在しないのか」の意味です。
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@3603
分人(dividuals)とは、個人(individual)に対置される概念です。
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@3650
一人が一票を持って誰か一人を選ぶという発想はそろそろ変わるべきなのかもしれません。それは単に、インターネットを使ってさまざまな情報を発信できるというだけではなく、政治システムそのものを新たに構築し直すべきではないでしょうか。 個人を一つの単位とするシステムを再検討する必要が出てきている のだと思います。
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