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Author:茂木誠

Title:世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史

Date:水曜日 11月 7, 2018, 35 highlights

@27
日本人に受け継がれる縄文人のDNAは、中国人・韓国人よりもチベット人に近く、アジアの最古層に属する
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@29
源平の騒乱とは、海賊衆を軍事力とし、宋との貿易拡大を求めるグローバリストの平氏政権と、関東武士(=開拓農民) を軍事力とするナショナリストの鎌倉幕府との戦い
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@34
キリストの愛を説いたイエズス会宣教師は、日本をカトリック化したあと、日本人の傭兵を動員して中国(明) を征服することをスペイン国王に進言していました。
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@247
文化人類学が帝国主義を支える学問として利用されたのは、各国共通
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@311
われわれ現生人類とネアンデルタール人は別系統であるのに対して、白人(コーカソイド)、黒人(ネグロイド)、アジア人(モンゴロイド) などの「人種」の違いはささいなもの
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@328
血友病を引き起こすのは、X染色体の八番目か九番目の遺伝子です。  繰り返しますが、男性は母親からX染色体、父親からY染色体を受け継ぎます。父親のX染色体は受け継ぎませんので、父親が血友病でも男の子に影響はありません。逆に母親が血友病の因子をもっていると、男の子は必ず発症します。
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@332
女性は両親からX染色体を一つずつ受け継ぎます。だから父親のX染色体が血友病の因子をもっていても、母親のX染色体が正常ならば、発症することは稀です。しかし、保因者(キャリア) になることには変わりありません。
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@334
ヴィクトリア女王(一八一九~一九〇一年) は、じつは血友病の保因者でした。女王自身は女性ですから発症せず、染色体変異に気づかないまま、子供たちに欧州各地の王族と婚姻関係を結ばせ、血友病のX染色体を拡散してしまいました。
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@355
もともと「異物」であったせいか、精子のミトコンドリアは卵子が受精したあと、卵子のなかで解体されてしまいます。卵子のミトコンドリアだけが、次世代に受け継がれるのです。つまり、われわれの細胞内のミトコンドリアは、すべて母親から受け継いでいるのです。
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@369
現生人類の共通祖先にあたる女性が、十六万年前のアフリカにいたことを突き止め、『旧約聖書』に出てくる最初の女性の名を借りて、「ミトコンドリア・イヴ」と名づけました。
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@377
縄文人の祖先であるDは、従来いわれていたように東南アジアから島伝いにやってきたのではなく、氷河時代に地続きだったシベリア方面から日本列島(当時は日本半島) に渡ってきた
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@381
縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血が、現代の日本人であるという「混血説」が、DNA研究によって証明された
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@402
ミトコンドリアDNAが特定地域に特定のグループが固まっているのに対し、Y染色体の分布はかなり 錯綜 しています。  これは、戦争や征服の勝者となった男性が、敗者の女性に子供をつくらせた結果、Y染色体が拡散したものと解釈できるでしょう。
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@405
中央アジアから中国北部にかけて一六〇〇万人が共有する特有のY染色体があり、その共通の祖先は、十三世紀の大征服者であるチンギス・ハンだという結論が出まし
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@409
南米ペルーにおける先住民インディオのY染色体を調査した結果、九五%がヨーロッパ人のものである、という驚くべき結果も出ています。スペイン人フランシスコ・ピサロによるインカ帝国征服(一五三二年) により、インカの男たちが大量に殺され、スペイン人のY染色体がインカの女性たちに伝わった
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@424
もともと東アジアに広く分布していたのがD2だった。漢民族(O3) の圧力によって、長江流域の越人(O2) が東南アジアや日本列島に押しやられ、山岳地帯のチベット高原と離島のアンダマン諸島、日本列島にD2が残った」と考えれば、説明がつきます。
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@694
エルサレムのソロモン神殿(紀元前十世紀創建、現在は壁面のみ残る)、アテネのパルテノン神殿(紀元前五世紀再建)、メッカのカーバ神殿(創建年代不明) は、いずれも石造りであるため二千年以上の昔の姿を残していますが、その建築技法は現代にまで伝わっていません。伊勢神宮は「築二十年」にすぎませんが、建築技法は二千年以上継承されています。
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@1164
馬子はすでに二人の皇族(穴穂部皇子と崇峻天皇) を殺していますから、推古天皇も聖徳太子も、生き残るためには馬子の傀儡にならざるをえませ
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@1169
馬子・太子の「二人三脚」政権下で進められた改革が「聖徳太子の事績」とされたのは、馬子を「逆賊」として描きたい『日本書紀』の編纂者の意図が働いているからです。
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@1509
平安」とは、平安京(京都) に都があった時代というだけの意味なのです。中央政府は藤原氏によって私物化され、地方長官は任地に赴かず、地方では無政府状態が続いていました。いわば、いまのシリアやソマリア、アフガニスタンのような状態のなかで、有力者が武装して自警団を組織し、これが武士団に発展していったのです。
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@1608
アメリカで禁酒法を制定した結果、酒の密売でアル・カポネに代表されるマフィアが大儲けした
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@1739
桓武天皇が皇子たちに「 平」の氏を与えたのが「桓武平氏」、清和天皇が皇子たちに「源」の氏を与えたのが「清和源氏」の起源です。
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@2301
債務を帳消しにする「永仁の徳政令」を発布します(日本で初めての徳政令)。これが平氏政権であれば、幕府が低利融資をするなど、もう少しまともな方法を考えたでしょう。  結果的に徳政令は信用経済を完全に破壊し、新たな借り入れを不可能にしました。この結果、ますます困窮した武士
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@2638
スペインが開発した中南米の銀山では、鉛の代わりに水銀を使うアマルガム法が採用された。いずれも鉛や水銀の蒸気を吸い込むために健康を害し、作業員はきわめて短命だった。石見では作業員が三十歳を迎えると「長寿」として、赤飯を炊いて祝ったという。
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@2875
教皇庁は「神の敵」すなわち異教徒の奴隷化を公認していた
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@2896
の日本人奴隷』岡美穂子氏との共著、中公叢書)。これらの事実に目を背けたまま、秀吉の禁教令を論じることはできない
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@2907
スペインの新大陸征服は、カトリックを世界へ広める「聖戦」として行なわれました。「異教徒の蛮族を救済する」という名目で続けられたのです。  鉄砲と大砲で武装したエルナン・コルテス、ピサロらスペイン人征服者たちが、石器の弓矢と槍しかもたないアステカ文明、インカ文明を滅ぼします。一五三三年、最後のインカ皇帝となったアタワルパをカトリックへ強制改宗させ、「魂の救済」を教会が約束してから処刑しています。
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@2913
フェルディナンド・マゼランの艦隊は、中国近海の島々に流れ着きました。マゼランは王太子フェリペの名にちなんで、その地をフィリピンと名づけます。スペイン人は「蛮族」フィリピン人にカトリック改宗を強制し、従わぬ者を殺害しました。
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@2929
絶え間ない内戦で国内が乱れ、国王の権威が失墜している、というものでした。  とすれば、スペイン軍による日本の直接占領は困難です。しかし日本人の領主(大名) をカトリックに改宗させてスペイン国王に忠誠を誓わせ、スペインの尖兵として利用することは可能でしょう。イエズス会の働きかけにより、九州にキリシタン大名が出現したのは、この計画の一端でした。
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@2936
仏教嫌いの信長をカトリックに改宗させることができれば……。しかし信長はあらゆる宗教を超越し、それどころか彼自身を神と崇拝させようとしていたのです。
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@2943
八角形の五層の 襖絵には大日如来を中心とする諸仏が、方形の六層(最上階) には孔子、老子など中国の聖人が描かれ、その中心に信長が座す──神仏が「最高神」信長を礼拝するかたちになっていたのです。
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@2988
・ポルトガル商人と結ぶキリシタン大名が、日本人奴隷を輸出していたこと。 ・イエズス会が、スペイン国王に日本派兵を要請していたこと。  こうした事実が日本史教科書では軽視、あるいは無視されてきたのはどうしてでしょうか。  日本におけるキリシタン研究をリードしてきたのは、ラテン語の文献が読めるカトリック系の大学の研究者たちでした。  彼ら自身の多くがクリスチャンであり、キリスト教という「真理」をこの国にもたらした宣教師たちの苦難と殉教を称賛し、これを弾圧した秀吉や江戸幕府の圧制を糾弾する、という価値観に従って歴史を記述してきたから
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@3306
東京駅東口の「八重洲」という地名は、ヤン・ヨーステンの屋敷跡に由来しています。
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@3429
諸大名が西欧人との交易で強力な火器や硝石を手に入れることを恐れました。そのためには貿易を一元化し、徳川家の強力な管理下に置くことが必要でした。これがいわゆる「鎖国」の最大の動機です。
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@3738
幕府の中枢では、オランダ人から得た情報で、フランス革命も、ナポレオン戦争も、アヘン戦争も知っていましたし、ペリーが来ることも事前に知っていたのです。
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