My kindle library and highlights

Follow @umihico Star Issue

cover_img

Author:ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ、花本知子

Title:意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論

Date:日曜日 1月 13, 2019, 120 highlights

@73
解剖実習の最中に、ある医学生が手のひらに他人の脳を載せ、どれほどの重さがあるかを感覚的に測ってみた。とその瞬間、どう見ても小さくてもろいとしかいえない物体が、ほんの数時間前まで、ある宇宙をまるごと宿していたことに気づく。その物体には、空間、時間、モノ、色、動物、思い出、愛情、恐怖、そして希望を含む、全宇宙が宿っていたのだ。
—-

@156
飛行士の多くが、かくも頼りない姿の地球とそこに住む者をいとおしく感じ、それを表現しようとした。
—-

@158
あの息をのむような光景をもっと多くの人(世界各地の権力者を含む) に見てもらえたら、全人類が気持ちを新たに、最初からやり直したいという気になるはずだ、と考えた飛行士さえいた。
—-

@181
毎晩、寝入るやいなや、ニューロンの働きがなにかしら変化し、われわれの意識は突然、ぷつりと途切れる。われわれを取り巻く宇宙全体が崩壊するのだ。このこと自体、並外れたできごとなのだが、ふだん気に留めることはない。  それは、意識がない状態を意識的に知覚できないからなのかもしれない。結局のところ、エピキュロスも説いたように、われわれは死を同じ理由から恐れなくてもいいのかもしれない。
—-

@205
誰もが皆、「意識というのはこれです」とひとつの表現で説明できると感じているのに、論理の道具でもって表そうとすると、思考はどんどんまとまらなくなり、霞み、つかみどころのないものになる。
—-

@209
意識というのは魅力的な現象ではあるが、とらえどころがない。それがなんなのかを定義することは不可能で、どのような働きをするのか、なぜ発達したのかもわからない。このテーマについて読むに値するものはまだなにも書かれていない。
—-

@233
われわれの体は、全然エレガントではなく腐敗しやすい素材でできているという、容赦のない事実。人一倍シニカルなものの見方をする医学生でさえ、心の底では自らの体を本当に物質的なものとして受け入れるのには抵抗を覚えるものだ。だがはじめて臨む解剖実習で、その抵抗もあっけなく崩れ去る。
—-

@262
なぜ大脳にはそれができて、他の器官にはできないのか。模範的な医学生のあなたは、「大脳は電気信号を発する」ことを思い出すかもしれない。だが、それなら心臓も同じだ、とすぐに思い浮かぶ。はっと気づいて「大脳には何百億ものニューロンとあまたのシナプスがつまっている」と思うかもしれない。  だが、大脳と同じく頭蓋骨におさまり、意識とは関係のない小脳には、もっと多くのニューロンがつまっていると思い返すだろう。
—-

@270
解剖実習で取り出されたこのもろい組織は、いまだ酸素と糖を供給されつづけているとしたら、あなたの手のひらに載った状態で夢を見ることができるのだ。そう考えたあなたは動揺する。
—-

@277
確かに心をかき乱されるが、どこか開放感がある。人が冴えた瞬間に考え、創りうることのすべてが、あのしょぼくれた物体から生まれている
—-

@317
二元論には長い歴史があり、正式にはデカルトから始まった。デカルトの考えでは、精神と物理的な世界のあいだには断じてなんの関係もない。
—-

@329
精神的な決断に伴って、手足が反応して動くということが、どうして起こりえるのか。なぜ麻酔を打たれたり、外傷を受けたりすると、われわれの思考が何時間も、あるいは何年も停止するのか。精神と物質は、どこかでつながっているはずだ。どんなに筋金入りの二元論者であっても、それは否定できない。
—-

@339
意識がない物体と意識がある物体の違いを生じさせる材料は決して見つからない、
—-

@355
肉体的には人間と同じようにつくられ、まったく意識がない生き物の存在(図2-1A) を思い描くことができること自体、次のことを示している、というのだ。別の人間の身体的状態をいくら完全に記述できたとしても、その記述をもとに、その人に意識があることを示すことは、論理的に不可能だ、
—-

@363
哲学的ゾンビが存在すると考えることは、われわれが自分に意識があると確信していることと相容れない。そう、哲学的ゾンビがわれわれとまったく同じように機能するというなら、彼らも自分たちには意識があると確信しているのではないか。ゾンビが、本当は意識がないのに、あると思い込んでいるとしたら、われわれが自分たちには意識があると思うのが勘違いではないと、誰にいえようか。こうやって反論していくと、われわれに意識があることを疑うのには意味がない以上、哲学的ゾンビは存在しえないし、仮想もできないことになる。
—-

@377
合成された音声のぎこちなさと不自然さがもう少し改善されたなら、マイクの向こうに有能なオペレーターがいるのを想像し、頭のなかで感謝していることに気づき、はっとすることもあるだろう。
—-

@395
あわれなワトソンは自分が勝ったことを知らなかった。というより、最初からずっと、なにも理解していないのだ。現代のコンピュータがリクエストに正しく反応したり、できなかったり、固まったり、再起動したりするとき、当のコンピュータは自分のいっていることやしていることの意味を理解しているわけではない。
—-

@400
コンピュータがクリアすることを「夢見る」テストに、おそらく合格できないだろう。「
—-

@451
このときあなたは日本語を解さない。実験が終わり、あなたはすべての質問に、適切で納得のいく答えを提供できた。やりとりの意味がなにもわからなかったにもかかわらず、である。意味を理解することなく、はっきりと定められた規則にのっとって、文字を操作しただけなのだ。チューリング・テストでいつか機械じかけの人形が人間をあざむくとしたら、この実験にかなり近い動きをするはずだ。
—-

@457
強烈な疑問におそわれる。脳も、有能で迅速な「情報の操り師」にすぎないとしたら? ケイ素でできたマイクロプロセッサが光ファイバーを通じてデジタル信号をやりとりするように、脳のニューロンも、タンパク質と脂質でできた極細の管を通じて電気信号をやりとりする。ニューロンも、一連のやりとりを、なにも理解することなく、何者かで「ある」ことなしに、行っている可能性がある。
—-

@476
始めは、一連の複雑な動きをするのに頭がいっぱいになっていたのに、いったん身につきさえすれば、動きが意識のレーダーにかかることはなくなる。われわれの経験の知覚から、すっかり消え去ってしまう
—-

@498
小脳と基底核のどちらかが破壊されたり、機能不全に陥ったりすると、生活がとても困難になる。ひとつひとつの動きが、痛ましいほど意識にのぼるのだ。特に、いままで考えを向けたこともなかった動きが意識されてしまう。
—-

@564
最終的には、本物のニューロンと同じ働きをする人工ニューロンをたくさんつくりだせるかもしれない。そうなったら、意識の謎は解けるだろうか。おそらく、解けないだろう。
—-

@567
ブルー・ブレインという名のプロジェクトだ。物理学者、生物学者、生理学者、情報工学研究者からなる、学際的な研究者グループによるプロジェクトで、脳について解明されていることをすべて、ケイ素の媒体上で再現する取り組みを始めている。
—-

@608
われわれは、人工の機器を、心臓や腎臓といった器官の代わりにつける場合には科学を信用するのに対し、それが脳となったら、話にもならないと考えるのだ。
—-

@708
手術台のうえで、麻酔科医に「意識がありますか」と聞かれて手のひらを握る患者は、かなりの数にのぼる(三人につき一人)。これは、麻酔薬や麻痺させるための薬が切れたあとで、手術中に意識があったと答える患者の数(一〇〇〇人につき一人) よりはるかに多い。
—-

@711
なぜこういう事態が起きるのかというと、全身麻酔の多くには、「麻酔が効いているあいだの記憶を喪失させる」
—-

@785
何百万人もの患者が、昏睡状態に陥ったあとも生きつづけ、人類史上経験のない意識段階に入っている。彼らは、アクセスできない、宙づりになった世界を生きている。「脳死」と「意識の回復」のあいだには、昏睡後のさまざまな可能性が存在する。
—-

@807
植物状態の患者は自発呼吸ができ、目覚めているように見えるが、意識がある兆候をまったく示さない。単純な指示に応えることがなく、ある部位に痛みを伴う刺激を受けても反応がない。反対に、筋緊張は高いことが多く、さまざまな動きが観察される。それらはオートマチックで、意図的でなければ目的もない。物体を見るためではないのに目が動き、手や首が反射的に動き、顔をしかめたり、嚙んだり、声を発したり、突然笑ったり泣いたりするということが、自動的に起こる。
—-

@849
植物状態とロックトイン症候群のあいだにも、「最小意識状態」という名の、実態があまりつかみきれていない状態も存在する。
—-

@875
最小意識状態にある患者の約半数が、意識がない植物状態であるとの誤診を受けている可能性があることが指摘されている。この誤診問題は、現在の神経医学において、臨床上、そして倫理上、最も深刻なものと思われる。医学の力を結集し、すばらしい最新の機器を用いても解決できていない。
—-

@932
ケンブリッジ大学の研究者たちは、テニスをしているところ(つまり球をラケットの表側や裏側でスパーンと打っているところ) を強く想像すると、脳の活動マップ上のある部分がつねに活性化することをつきとめた。その場所が、前頭の大脳皮質(前運動野) で、動作の計画をつかさどる領域である。
—-

@970
植物状態と診断されている五人につき一人の割合で、そのときどきの指示にふさわしいニューロンを意図的に活動させる者がいた。
—-

@976
は、「~しているところを想像する」というのは、なんということのないタスクだが、深刻な脳損傷を受けた患者にとっては難しすぎる場合が多々ある。
—-

@978
第一に、脳損傷を受けた患者の多くは、失語症になることが挙げられる。言葉を理解できないため、実験の指示を理解することができない。
—-

@983
そもそも、言葉または感覚的な刺激を受けたとき、被験者が反応できるか否かを判断基準に採用している以上、大前提を踏み外しているといわざるを得ない。
—-

@985
意識は、身ぶりのアウトプットが見られない場合でも存在しうるのみならず、感覚のインプットがなくても存在しうるからだ。
—-

@1034
てんかんの場合、意識が失われるのに、脳は非常に活発に活動している。それだけでなく、脳活動のレベル=意識のレベルという等式は、脳に重い損傷を負った患者の測定結果によっても覆される。
—-

@1067
最新の研究で、意識が低下しても同期現象が減少するとは限らないことがわかった。
—-

@1086
共感をつかさどる脳の領域が明らかになり、共和党と民主党に投票するアメリカ人の違いを決定づける部位がつきとめられている。また、本当はペプシの味のほうがすきなのに、ついコカコーラを買ってしまう要因を抱える領域まで明らかになっているのだ。  だが、他人の脳のなかに意識の光が灯っているか、消えているかは知りえない。そんなはずはない、と思われるかもしれないが、本当にそうなのである。
—-

@1104
小脳には八〇〇億個ものニューロンが行儀よく並んでいるのだ。視床-皮質系はといえば、大脳皮質を含めて、 たった 二〇〇億個のニューロンしかない。
—-

@1113
小脳摘出である。手術では、小脳がまるごと、なかに八〇〇億個のニューロンがつまったまま摘出され、外科手術用の廃棄物入れのなかに、文字どおり投げ捨てられる。
—-

@1117
小脳摘出患者を近くから観察すると、速い動きを行うのが困難な様子が見える。ふるえがあり、言葉をほとんど一音節ごとに区切るように発し、爆発したようにしゃべりだすこともある。運動にかんしては、このように明らかな困難がある。  それに対し、意識の経験にはまったく変化が見られないのは驚きである。事実、小脳に損傷を受けた患者の意識は、損傷前とたいして違いが見られない。
—-

@1127
小脳には、頭蓋内の総ニューロン数のうち、四分の三以上がつまっているのにもかかわらず、闇も、光も、赤も、青も見分けられない。正真正銘のゾンビなのだ。
—-

@1163
神の属性を挙げることはできない。神は、われわれの限りある想像力を超えた存在であるためだ。ならば、神は「~ではない」という、非属性を挙げるにとどめるほうがよい。いまのところ、意識についても、「~ではない」という非属性を挙げるほうが簡単かもしれない。
—-

@1175
発せられる電気信号の数でいえば、大脳皮質のニューロンの大半が、睡眠時も覚醒時と同じくらい活発である
—-

@1237
夢が、非常に重要な科学的教訓を与えてくれる。意識が いまここで 生まれるためには、外部世界との交渉を必要としない、意識は脳の産物である、という教えである。
—-

@1270
感覚器官に刺激を受けたとき、それが意識にのぼるまでに少なくとも〇・三秒を要するというデータがある。意識の経験が生まれるのに、なぜそんなに時間がかかるのか。ニューロンの活動が意識を生みだすのに必要な時間は、なぜ〇・三秒であって、〇・〇〇一秒でも二秒でもないのだろうか。
—-

@1344
なぜわれわれには意識があり、フォトダイオードにはないのだろうか。生体の組織であることが重要という考えは捨てなければならない。というのも、結局のところ、光を感じて活動を始める、人間の網膜細胞や大脳皮質の細胞だって、炭素、酸素、水素、窒素でできているフォトダイオードのようなものだからだ。
—-

@1402
情報量が豊富であるということ、つまり、無限といっていいほどの可能性のなかから、ある状態を見極められるということは、意識の経験にとって欠かせない要素だ。
—-

@1405
意識の経験は、豊富な情報量に支えられている。つまり、ある意識の経験というのは、無数の他の可能性を、独特の方法で排除したうえで、成り立っている。いいかえれば、意識は、無数の可能性のレパートリーに支えられている、ということだ。
—-

@1437
一つ目のフォトダイオードに起きることは、二つ目のフォトダイオードにはまったく関係がなく、三つ目にも四つ目にも、一〇〇万番目のフォトダイオードにも関係ない。実際のところ、デジカメの本体におさまっているのは、何十億もの選択肢を手にすることができる単体ではなく、ふたつの選択肢を持ち、それぞれがばらばらに存在している一〇〇万個の物体なのだ。これは、人間とはまったく違う!
—-

@1470
傍から見れば、患者の生活に大きな支障がある様子は特にない。というのも、どちらの脳も、同じ頭蓋骨のなかで育ち、何十年も協力して働いてきたのだ。ほかのものと比べものにならないくらいの結びつきがあり、密接に形作られているのだ。また、同じ頭蓋骨のなかに同居し、外界から似たような信号を受け取りつづけているのである。しかしながら、分離脳であるという意識はない。
—-

@1484
神経医学の臨床データにより、脳をそれほどまでに分けなくとも意識は消滅することがわかっている。
—-

@1495
根本的な違いは、次の点にある。デジカメは独立した部位の集合にすぎず、それぞれの部位は最小の選択肢を持つ。それに対して脳は、何十億の何十億倍もの選択肢を持つ、ひとつにまとまった存在である。脳が、ほかの無数の選択肢を排し、ある特定の状態を見分けるとき、全体としてひとつにまとまっている。したがって脳は、一度にひとつの状態しか見分けることができない。このため、あらゆる意識経験はひとつのものであって、分けられない。
—-

@1580
システムを分解し、ある部分に伝わる情報がほかの部分にも届くかどうか、またその逆も成り立つかどうかを確認すればよいのだ。
—-

@1690
統合情報理論からすると、肝臓は一なる組織とはいえなくなる。互いにやりとりのない、ばらばらのパーツ(肝小葉) の集合体なのだ。前章の 図5-2 にあったような、モジュールに分割可能なシステムに似たところがある。事実、高度な外科技術でもって肝臓を二分、あるいはそれ以上に分けたとしても、肝臓の機能はまったく変わらない
—-

@1694
心筋の細胞はニューロンと同じように電気信号を発し、相互につながりがあり、コミュニケーションを取り合っているからだ。しかもそのつながりは、脳細胞とくらべ、より密接なのである。
—-

@1698
心臓がふたつに切り分けられたとしたら、その機能は間違いなく大きく変化するだろう。
—-

@1751
小脳の右側につまっている四〇〇億個のニューロンは、小脳の左側につまっている四〇〇億個のニューロンの世界とはかかわりがないのだ。小脳にかんしていえば、われわれは皆、生まれながらにして分離脳患者のようなものである。
—-

@1764
小脳は独立したモジュールで成り立っている
—-

@1773
小脳はこの特徴のおかげで、体の動きや他の機能を、信じられない速さと正確さで調整できるのだ。小脳は、小さなコンピュータが並んだ集合体のようなものである。各コンピュータは、自分の特定の任務を遂行する。
—-

@1789
小脳が一なる存在であるというのは幻想にすぎない。正しい角度から見て、適した測定方法をとればすぐに、独立した無数の要素がばらばらに集まっているだけだとわかる。
—-

@1816
ゲノム・プロジェクトは、ヒトゲノムの完全な解読を目指した研究であった。その次のプロジェクトとして、科学界は、コネクトーム〔神経系内にあるニューロンなどの要素の接続を示す神経回路図〕・プロジェクトなる、さらなる挑戦に足を踏み入れたところだ。神経回路の完全な地図をつくるという、より野心的なプロジェクトである。
—-

@1821
線虫の一種、カエノラブディティス・エレガンスの脳は、わずか三〇二個のニューロンからなり、ニューロン間を八〇〇〇個のシナプスがつないでいる。
—-

@1873
暗い」と思うとき、誰もが皆、そこにある「闇」を見ているのだと考える。「闇」という独自のものが、すでにそれだけで存在しているのだと考えている。だが、まったく違う! 「暗い」と思ったり、想像したり、夢に見たりするとき、「闇ではないものすべて」との関連で、「暗い」と感じるのだ。「
—-

@1989
脳外科医が脳梁を切断すると、意識もふたつに分かれる。驚くべきことに、意識の点でメインとなる半球においては、手術後も、意識のレベルも内容もさほど変化が見られない。さらに、メインではないほうの半球も、いくつかの重要な能力は失われているものの、独自の意識を保ちつづける。
—-

@2019
暗い」という状態が成り立つには、「明るくない」というだけでなく、「青くない」「顔ではない」「なにかの映画のひとコマではない」「音ではない」「味ではない」などの、「~ではない」の総動員が不可欠だった。
—-

@2060
情報が高いレベルで統合されるためには時間がかかるのだ。最低でも、数百ミリ秒必要だ。同時に、なぜ小脳や基底核の処理スピードがわれわれよりはるかに速いのかも説明がつく。これらの迅速で有益なゾンビにおいては、情報は統合されず、すべての神経的処理はばらばらのモジュール内にとどまるからである。
—-

@2120
統合情報理論の予測どおりであれば、睡眠時や麻酔時に意識がなくなるとき、次の現象が付随するはずだ。視床-皮質系内で、情報を統合する能力が低下する(視床-皮質系の各モジュールが互いに影響を与えなくなり、孤立してばらばらになる)。または、情報量が低下(ニューロンの選択肢の数が減少) する。あるいは、統合能力の低下と情報量の低下が同時に起こる。
—-

@2128
Φ のおおよその値を得るためには、ニューロンの活動レベルを測るだけでは不十分だ。それは目に見えている。事実、 Φ はあるシステムを構成する要素の数に左右されない(
—-

@2132
細胞間に目立った同期現象が見られたとしても、全体として統合されているという証拠にはならない。世界中の時計が、百分の一秒単位でぴったりと合っていても、全体としてひとつのシステムを構成するわけではないのと同じだ。
—-

@2357
機器で頭蓋をノックすると、意識がある脳においては複雑なエコーの広がりがあるのだが、意識がない脳においては、とびとびの単調な動きしか見られない。明らかに、統合が阻まれている。強力な刺激を与えてこの壁を乗り越えようとすると、情報も失われてしまう
—-

@2380
眠りに落ちるにつれ、カリウムの通り道が徐々に増える。カリウムは、正の電気を持ったイオンで、ニューロンから徐々に出ていく。ある程度カリウムが放出されたところで、バランスが崩れる。ニューロンは不安定になり、完全に静かであるか、活性化しすぎているかのどちらかの、極端な揺れ方を見せる。
—-

@2390
カリウムの流れが変わったという、ただそれだけのことで、脳はなによりも大切なもの、統合と多様性の奇跡的なバランスを失うのだ。このしがないイオンのせいで、われわれは、意識を持つ主体としては存在しなくなってしまう。
—-

@2487
深い睡眠中や麻酔の効力で意識が失われると、大脳の複雑な動きはつねに減少することを確認してきた。
—-

@2512
意識が回復したと仮定しよう。だが、患者はわれわれに感謝するだろうか。それとも、余計なことをしてくれたと、怒りを覚えるだろうか。コミュニケーションをとれない、脳内に閉じ込められた言葉で、なにを伝えるのだろうか。
—-

@2611
エコーの圧縮可能度合い──いいかえれば、それを記述するのに必要なビット数──は、複雑性の目安になる、
—-

@2703
コウモリであるとは、どんな感じがするのだろうか」。
—-

@2705
本当の問題は、そのような問いを投げる前にある。コウモリであったら、なにかを感じるか「どうか」さえ、わからないのだ。
—-

@2739
一二か月の子どもが、本当は見たり感じたりすることはできないものの、まるで見たり感じたりできるようにふるまっている、とでもいうのだろうか。そして、数か月後、歩いたり遊んだりしていた同じ子どもの前に、形や色、音、そして喜びや痛みにあふれる世界が突然開けるとでも? だがそうとは考えにくい。
—-

@2766
もっと極端に考えている人もいる。その主張によれば、意識は、各細胞にも等しく宿っている、とされる。だが、この立場には不都合な点がある。意識がどこにでも見られるということは、結局、意識はどこにも見られないといっているのと同じだからだ。
—-

@2802
迷うことなく瞬時に見分けられると思っている。岩や山、雲は自然のもの。ナイフやハンカチ、車は人工のもの、というふうに。(……) だが、見分ける基準を分析しだすと、その基準が明快でもなければ客観的でもないことに気づく。
—-

@2815
蜂の巣は、目を見張るほど洗練され、均整がとれた物体だ。しかも、同じ形が何度も忠実に繰り返されてできている。そうなると、探索プログラムは、火星人に間違った報告をすることになるだろう。「われわれのものとはくらべものにならない、ものすごい製作の営みが発見されました。われわれのものが、原始的に思えてくるほどです。信じられないほど複雑で、細密な加工物です」
—-

@2839
生物と無生物の境界さえ、すんなりとは定まらなかったことを念頭に置き
—-

@2867
イルカたちは、明らかに、社会的な交渉に大変気をつかっているようだ。強迫観念とすら思えてくる。ひっきりなしに策略を立て、同盟を組み、裏切りを繰り返す。
—-

@2886
アレックスは生涯を終えるまでに、一五〇の単語を覚えた(二歳児の語彙数に相当する)。六まで数えることができ、七つの色と六つの幾何学的な形を見分け、一般的な概念をいくつか身につけていた。たとえば「より大きい」「より小さい」「同じ」「異なる」「上」「下」、そして「ゼロ」の概念である。アレックスはモノをカテゴリー別に分けることもできた。たとえば「鍵」を、色、素材、形に関係なく、〔機能で〕 分類することができた。そして、疲れたら、「かごのなかにかえりたい」と話す。
—-

@2897
ハトのなかには、あらかじめピカソとモネの絵を見分ける訓練を受けたうえで、まだ見たことのない両作家の絵について、作者がどちらかをいい当てるものがいる。このことから、ある程度の抽象思考能力が備わっていると考えられる
—-

@2923
目的地が遠ければ遠いほど、ダンスの時間は長くなる。揺れの時間が七五ミリ秒長くなるたび、伝えられる距離は一〇〇メートル増える計算だ。
—-

@2940
唯一の理由は、これらの物体をわれわれ自身が組み立てたから、ということのようだ。これらの機械に意識がないと思う理由はただひとつ──その秘密を知っているからにすぎない。
—-

@2967
体が大きければ、体の基本機能をコントロールするために、より大きな脳を必要とするのである。
—-

@2972
比較神経解剖学においては、たんなる脳の「スペック」ではなく、「脳化指数」と呼ばれる、相対的な基準がある。これは、ある動物の種が持っている脳のボリュームと、同サイズの動物が平均的に持っている脳の大きさとの、だいたいの関係を測る指標だ。
—-

@2993
ゾウの大脳にある二〇〇億個のニューロンは、意識の発生の点で、ヒトの小脳にある八〇〇億個のニューロンよりも重要だろうか。犬の大脳皮質にある一億六〇〇〇万個のニューロンと、タコの脳にある三億個のニューロンとでは、どちらがより意識の発生に貢献するだろうか。
—-

@3022
鳥のニューロンがヒトの基底核のように組織されているとすると、オウムのアレックスが話していた言葉は、カーナビと同じくらい意識のないもの、ということになるからだ。あるいは、第6章で見た、植物状態の患者が発する言葉と大差ないことになる。だがもし鳥のニューロンが、ヒトの視床-皮質系と同じように組織されていれば、アレックスの言葉は、意識経験や願望を表現するものとなり、この小さな生き物には主観的経験の光が輝いていることになる。
—-

@3034
最近開発された「光遺伝学」という技法が挙げられる。この技法により、ひとつひとつのニューロンを活性化させたり、おとなしくさせたりすることが、すでに可能となった。〔
—-

@3051
推測を進めれば、どんな物質も、生物だろうと無生物だろうと、おのおのが小さな Φ の値を持つことがわかるに違いない。
—-

@3054
意識と無意識のあいだに、はっきりした境界があるとは考えにくい。
—-

@3055
進化の過程で意識が突然宿るようになったとは思いがたいのだ。意識が、言葉の発生と同時に無から出現したとは考えにくいし、子どもが鏡の自分を認識できるようになったら突然意識が生まれるとも思えない。
—-

@3095
イルカの視床-皮質系は、解剖構造的な複雑さにおいて、ヒトのものに引けをとらない。
—-

@3098
イルカが眠っているとき、脳半球の片方が交互に起きている、ということだ。右脳が一時間覚醒したら、次は左脳が起きている番、という調子
—-

@3101
イルカの意識レベルがわれわれのものと同等である、と特定される日が来るかもしれない。しかも、イルカのほうが少し上だったりして。
—-

@3112
脳自体には神経が通っていないので、痛みを感じない。
—-

@3188
脳は、空よりも広い   だって、脳と空を並べてごらん   そうしたら、脳には空が入っているもの
—-

@3238
it from bit(すべては情報から生まれる)」
—-

@3240
あらゆるもの(it) ──粒子やベクトル場、空間や時間──の機能、意味、存在は、二択(bit) の繰り返し、つまり情報から生まれる、と考えた。
—-

@3243
情報──かくも物質的で、同時にかくも非物質的なるもの──こそが、物質的なもの(延長実体) と精神的なもの(思惟実体) の溝を埋めうる、と考えた。また、物質の世界からいかにして意識が生じるかも、情報によって説明できると主張している。
—-

@3287
この脳は、最初から、外界からなんの刺激も受けていない。母親の子宮の動脈を流れる血液の音や、心臓の鼓動、母親の声を聞いたことがない。せまくて苦しい産道を通ったこともなければ、生まれ出て最初の息を吸った経験もない。やさしく撫でられたこともなく、母乳の味も知らない。それに、学校に通ったこともない。内部にすでに備わっているルールのみにしたがって、育っている。長く起伏に満ちた進化の過程のなかで、何百万年という日々をかけて培われた法則だけを、指針としているのだ。そして、大人になる。といっても、大人になるのに十分な時間がたったにすぎない。この脳は、周縁の神経から一度も刺激を受けたことがないし、いまでも受けることがまったくない。だからこの脳は、夢を見るしかない。だがどんな夢を? おそらく、ごく色あせた夢であるか、もしかすると、なんの夢も見ないかもしれない
—-

@3295
想像をめぐらせた。  脳が見分けられる状態のレパートリーが増えるにつれて、意識も成長する。そしてそのレパートリーは、外の世界における経験が増えるにつれて、成長する。
—-

@3299
脳の発達は、すでに脳内にあるつながりが消えることによって起こる。新しいつながりが加わるよりも、消滅するほうが、脳の発育に貢献するのである。
—-

@3303
子どもは、生まれて間もないころから、因果関係に興味を示す。あるボタンを押したら、なにか特定の効果が生まれるかどうか、そしてそれが、ふたたび押したときにも現れるのか。こういったことを確かめながら、飽きずに何時間もすごす。同じボタンが、いつも同じ音を生むのかや、ほかのボタンを押したら、違う音がするかどうかも確認している。
—-

@3324
夢を見ながら、想像をめぐらせながら、いろいろなものをつくりあげ、脳内のレパートリーはさらに拡張していく。そして、外界にある可能な状態の数を、優に超えるレパートリーとなる。
—-

@3345
還元主義的アプローチは、これまで数世紀にわたり、とても有力な方法でありつづけた。そのため、分解したり還元したりすれば、世界を普遍的に説明する超理論にたどりつけるのではないか、と思われてきた。そこで必要となるのは、原子レベルや、原子以下のレベルで見いだされる、ごくわずかな性質である。
—-

@3352
仮に、科学的な説明によって、意識を還元できるとしよう。たとえば、意識は、こぶしひとつ分のニューロンとその構成原子の動きにすぎないものに還元されるとする。となれば、われわれの意識も、ただの付帯現象ということになってしまう。そうなれば、われわれの意志や自由、選択は、ただの幻想ということになるだろう。すべてが、因果関係によって、あらかじめ決められていることになるからだ。
—-

@3361
特定のニューロンの活動レベルに基づこうが、特定の回路の活動レベルに基づこうが──、当然の帰結として、われわれに自由な意志がないことを示してしまう、と。どんな場合においても、意識は無力な傍観者にすぎなくなる。
—-

@3366
自由意志について議論するとき、重要になるのは因果関係だ。結局のところ、われわれ自身が、われわれの行動の最初の原因となるとき、われわれは自由だといえる。この点をもっとよく考えたほうがよさそうだ。
—-

@3369
もし、できごとAのあとで、必ずできごとBが起こるなら、AはBの原因だと推論できる。だが、もっと厳密な因果関係の定義では、再検証を行うことが求められる。仮に、できごとC、D、E、Fが起きたあとにも、できごとBが見られるなら、BはAに引き起こされたというよりも、ほかの要因によって起こるべくして起こった、と考えられる。いいかえれば、因果関係が特定しにくいほど、そのできごとは原因とは見なされない、
—-

@3390
コペルニクス的転回によって、人間は宇宙の中心から端へ追い出された。
—-

@3393
進化論が登場し、「人類は高貴な存在である」という幻想が打ち破られた。
—-

@3398
意識理論は、われわれをどこに追いやろうとしているのだろうか、
—-

@3454
ガリレオの文章も、文の構成要素に分けて改行し、すべての行を中央揃えにすると文字「X」のような形が現れる、
—-