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Author:岸見 一郎、古賀 史健

Title:嫌われる勇気

Date:木曜日 11月 29, 2018, 110 highlights

@22
人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる、
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@53
人は誰しも、 客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。
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@255
アドラー心理学では、 過去の「原因」ではなく、いまの「目的」 を考えます。
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@257
友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」 と考えるのです。
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@300
われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。
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@355
あなたには大声を出す、という目的が先にあった。すなわち、大声を出すことによって、ミスを犯したウェイターを屈服させ、自分のいうことをきかせたかった。 その手段として、怒りという感情を捏造した のです。
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@376
怒りとは出し入れ可能な「道具」 なのです。電話がかかってくれば瞬時に引っ込めることもできるし、電話を切れば再び持ち出すこともできる。
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@401
問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」であると?
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@505
なにが与えられているか」に執着して、現実が変わりますか?
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@512
不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。
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@534
不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断した、
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@609
少しくらい不便で不自由なところがあっても、いまのライフスタイルのほうが使いやすく、そのまま変えずにいるほうが楽だと思っている
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@613
一方、新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分になにが起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわかりません。未来が見通しづらくなるし、不安だらけの生を送ることになる。もっと苦しく、もっと不幸な生が待っているのかもしれない。
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@651
実際のところは、応募しないことによって「やればできる」という可能性を残しておきたいのです。人の評価にさらされたくないし、ましてや駄作を書き上げて落選する、という現実に直面したくない。
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@675
これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」 といっているのです。自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、
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@745
可能性のなかに生きることができる
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@768
たとえ結果がどうであったとしても前に踏み出す勇気を持ってもらう
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@791
自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶されたときの理由づけにもなる
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@801
対人関係のなかで傷つかないなど、基本的にありえません。
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@820
なにしろアドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」 とまで断言している
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@833
個人だけで完結する悩み、いわゆる 内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩みであれ、そこにはかならず他者の影が介在しています。
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@896
もしも比べるべき他者が存在しなければ、わたしは自分の身長が低いなどと思いもしなかったはず
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@950
優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である」
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@993
成功できない」と考えているとすれば、それは「成功できない」のではなく、「成功したくない」のだと考えなければなりません。 青年  成功したくない? どういう理屈です? 哲人  単純に、一歩前に踏み出すことが怖い。また、現実的な努力をしたくない。いま 享受 している楽しみ——たとえば遊びや趣味の時間——を犠牲にしてまで、変わりたくない。つまり、ライフスタイルを変える〝勇気〟を持ち合わせていない。多少の不満や不自由があったとしても、いまのままでいたほうが楽なのです。
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@1006
AだからBできない」といっている人は、 Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ、と言外に暗示している のです。
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@1016
欠如した部分を、どのようにして補償していくか。もっとも健全な姿は、努力と成長を通じて補償しようとすることです。たとえば勉学に 励んだり、練習を積んだり、仕事に精を出したりする。 しかし、その勇気を持ちえていない人は、劣等コンプレックスに踏み込んでしまいます。
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@1032
あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸る のです。
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@1051
自分の手柄を自慢したがる人。過去の栄光にすがり、自分がいちばん輝いていた時代の思い出話ばかりする人。あなたの身近にもいるかもしれませんね。これらもすべて、優越コンプレックスだといえます。
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@1055
わざわざ言葉にして自慢している人は、むしろ自分に自信がないのです。
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@1056
それは劣等感を感じているからにすぎない」
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@1071
不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。
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@1078
病気になったとき、怪我をしたとき、失恋で心に傷を負ったときなど、少なからぬ人がこのような態度によって「特別な存在」であろうとします。
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@1082
自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。
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@1093
自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり、 その人は永遠に不幸を必要とする ことになります。
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@1113
誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい のです。
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@1161
対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができません。
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@1214
対人関係を競争で考え、 他者の幸福を「わたしの負け」であるかのようにとらえているから、祝福できない
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@1216
しかし、ひとたび競争の図式から解放されれば、誰かに勝つ必要がなくなります。「負けるかもしれない」という恐怖からも解放されます。
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@1248
私的な怒り(私憤) と、社会の矛盾や不正に対する憤り(公憤) は種類が違います。
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@1304
相手のアクションに対してリアクションを返さない。
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@1327
人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている
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@1403
仕事がしたくないのではなく、労働を拒否しているのではなく、ただ「仕事にまつわる対人関係」を避けたいがため
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@1432
友達や知り合いの数には、なんの価値もありません。
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@1452
アドラーは、相手を束縛することを認めません。相手が幸せそうにしていたら、その姿を素直に祝福することができる。それが愛
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@1459
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。 劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。
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@1494
恋人や夫婦の関係では、ある時期を境にして相手のやることなすこと、すべてに腹が立つようになることがあります。
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@1498
これはその人がどこかの段階で「この関係を終わらせたい」と決心をして、関係を終わらせるための材料を探し回っているから、そう感じる
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@1499
相手はなにも変わっていません。 自分の「目的」が変わっただけ
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@1500
人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる、
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@1507
さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の 嘘」と呼びました。
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@1633
他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。
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@1656
賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。
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@1663
われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」
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@1667
他者の期待など、満たす必要はない
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@1670
自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」
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@1679
承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。
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@1742
自分の課題と他者の課題とを分離していく必要がある のです。
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@1746
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと—— あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること—— によって引き起こされます。
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@1780
馬を水辺に連れていくことはできるが、水を 呑ませることはできない」
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@1801
子どもとの関係に悩んでいる親は、「子どもこそ我が人生」だと考えてしまいがちです。
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@1822
まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。
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@1838
あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、 その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない
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@1861
上司に疎まれているから仕事ができない。わたしの仕事がうまくいかないのは、あの上司のせいなのだ。そう語る人は「うまくいかない仕事」への口実として、上司の存在を持ち出している。
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@1943
困難に直面することを教えられなかった子どもたちは、あらゆる困難を避けようとするだろ
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@1986
他者からの承認を選ぶのか、それとも承認なき自由の道を選ぶのか。
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@2008
自分が自分の人生を好きに生きてはいけない理由など、どこにもありません。
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@2049
自由とは、他者から嫌われることである」 と。
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@2061
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。
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@2087
幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」 も含まれます。その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。
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@2251
過去から未来、そして宇宙全体までも含んだ、文字通りの「すべて」が共同体なのだと提唱しているのです。
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@2300
あなたのことをよく思わない人がいるのは、あなたが自由に生きている証なのだ、
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@2320
わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。
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@2392
目の前の共同体だけに縛られず、自分がそれとは別の共同体、もっと大きな共同体、たとえば国や地域社会に属し、そこにおいてもなんらかの貢献ができているという気づきを得てほしいのです。
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@2430
退学届一枚で縁が切れる共同体など、しょせんその程度のつながりでしかありません。
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@2449
あなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などない。こちらから捨ててしまってかまわない。
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@2481
子育てをはじめとする他者とのコミュニケーション全般について「ほめてはいけない」 という立場をとります。
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@2493
ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。
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@2547
介入にならない「援助」をする必要があります。
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@2571
ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成していく
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@2593
仕事を手伝ってくれたパートナーに「ありがとう」と、感謝の言葉を伝える。あるいは「うれしい」と素直な喜びを伝える。「助かったよ」とお礼の言葉を伝える。
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@2611
どうすれば人は〝勇気〟を持つことができるのか? アドラーの見解はこうです。「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」。
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@2624
自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。
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@2660
他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。他者が「なにをしたか」で判断せず、そこに存在していること、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていくのです。
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@2686
ありのままのわが子を誰とも比べることなく、ありのままに見て、そこにいてくれることを喜び、感謝していく。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。そうすれば「存在」そのものに声をかけることができるはずです。
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@2732
もしもあなたが 誰かひとりとでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえている のです。
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@2748
会社組織であれば、職責の違いは当然あります。誰とでも友達付き合いをしなさい、親友のように振る舞いなさい、といっているのではありません。そうではなく、 意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張すること
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@2761
あなたには断る余地もあるのだし、もっといい方法を提案する余地もあったはずです。あなたはただ、そこにまつわる対人関係の 軋轢 を避けるために、そして責任を回避するために「断る余地がない」と思っている
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@2962
無条件の信頼とは、対人関係をよくするため、横の関係を築いていくための「手段」です。
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@2980
信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができない のです。
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@2983
浅い関係であれば、破綻したときの痛みは小さい。しかしその関係から生まれる日々の喜びもまた、小さいはずです。「他者信頼」によってもっと深い関係に踏み込む勇気を持ちえてこそ、対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増えていくのです。
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@2993
悲しいときには、思いっきり悲しめばいいのです。痛みや悲しみを避けようとするからこそ、身動きが取れず、誰とも深い関係が築けなくなるのですから。 こう考えてください。われわれには、信じることができます。疑うこともできます。そしてわれわれは、他者を仲間と見なすことをめざしています。信じることと疑うことのどちらを選択するかは、明らかでしょう。
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@3019
仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。それが「他者貢献」です。
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@3023
他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを、「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしている
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@3026
他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるもの なのです。
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@3043
一生かかっても使い切れないほどの資産を抱えた富豪がいます。そして彼らの多くは、いまもなお忙しく働き続けています。なぜ働くのでしょうか? 底抜けに強欲なのでしょうか? 違います。それは他者貢献のためであり、ひいては「ここにいてもいいんだ」という所属感を確認するためなのです。巨万の富を得たのちに慈善活動に尽力する富豪たちもまた、自らの価値を実感して、「ここにいてもいいんだ」と確認するために、さまざまな活動をおこなっているのです。
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@3063
たとえ家族から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片づけながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。
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@3100
アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になる とさえ、いわれています。
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@3164
仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がない」と弁明するでしょう。しかし、これは人生の嘘です。 仕事を口実に、他の責任を回避しようとしている にすぎません。本来は家事にも、子育てにも、あるいは友人との交友や趣味にも、すべてに関心を寄せるべき
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@3214
人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないこと
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@3220
目に見える貢献でなくともかまわない? 哲人  あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。ほんとうに貢献できたかどうかなど、原理的にわかりえない。
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@3259
ほんとうに貢献感が持てているのなら、他者からの承認はいらなくなります。
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@3331
大切にしているのが、「普通であることの勇気」
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@3341
普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。
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@3442
家から一歩出た瞬間、それはすでに「旅」であり、目的地に向かう道中もすべての瞬間が「旅」であるはずです。もちろん、なんらかの事情でピラミッドにたどり着けなかったとしても、「旅」をしなかったことにはならない。
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@3466
自分が劇場の舞台に立っている姿を想像してください。このとき、会場全体に蛍光灯がついていれば、客席のいちばん奥まで見渡せるでしょう。しかし、自分に強烈なスポットライトが当たっていれば、最前列さえ見えなくなるはずです。 われわれの人生もまったく同じです。人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。いや、見えるような気がしてしまう。しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなる でしょう。
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@3475
人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに 免罪符 を与えようとしている。 過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。
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@3482
人生を物語に見立てることはおもしろい作業でしょう。ところが、物語の先には「ぼんやりとしたこれから」が見えてしまいます。しかも、その物語に沿った生を送ろうとするのです。わたしの人生はこうだから、そのとおりに生きる以外にない、悪いのはわたしではなく、過去であり環境なのだと。ここで持ち出される過去は、まさしく免罪符であり、人生の嘘に他なりません。 しかし、人生とは点の連続であり、連続する刹那である。そのことが理解できれば、もはや 物語は必要なくなる でしょう。
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@3554
人はなんのために生きるのか? ある人からこの質問を向けられたとき、アドラーの答えは「一般的な人生の意味はない」
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@3568
人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」 と。
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@3612
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない、ということです。アドラー心理学を知ったわたしの目に映る世界は、もはやかつての世界ではありません。
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